比較的早くから加賀の在地に根を下した在地の大坊主の寺で、もともと本願寺一門とは血の繋がりの
ない、外様の大坊でした。初期の一向一揆では、その立場から加賀門徒を主導していきました。
鳥越弘願寺 | 吉藤専光寺 | 木越光徳寺 | 磯部聖安寺 (勝願寺) |
蓮如の息子たちが開いた、または本願寺と血縁関係にある一門の寺で、四山大坊主に代って
加賀一揆衆の中核となり、また現地加賀での本願寺の代行者としての役割を持っていました。
徳川幕府で言えば、御三家に当るといったところでしょうか。
二俣本泉寺 | 若松本泉寺 | 波佐谷松岡寺 | 山田光教寺 |
清沢願得寺 |
藤島超勝寺と和田本覚寺は、朝倉氏による越前追放後、加賀に亡命し、両者手を携えあって本願寺に
接近し、賀州3ヶ寺に対抗して、享禄の錯乱を引き起こして賀州3ヶ寺を没落させ、加賀の実権を握りました。
吉 崎 御 坊 | ||
藤島超勝寺 | 和田本覚寺 |
井波瑞泉寺 | 土山勝興寺 | 城端善徳寺 |