波 佐 谷 松 岡 寺

比 定 地 開  基 開 山 時 期
能美郡波佐谷(小松市波佐谷町周辺) 北隣坊蓮綱 文明10(1478)年頃
蓮如の三男・北隣坊蓮綱が河北郡二俣本泉寺の蓮乗に招かれて「能美郡山田の池の城(小松市池城町)」に寺坊を開き、それが東隣の古屋(小松市松岡町)に移り、松の木が多いのと地名に難があるということで、新たに松岡と名づけたと言われ、これによって蓮如が松岡寺と寺号を定めたと言われている。
この松岡寺が波佐谷(小松市波佐谷町)に移転したのが文明10(1478)年頃と考えられており、以後、若松本泉寺、山田光教寺と並ぶ賀州三ヶ寺の1つとして栄え、住持の蓮綱は文明年間の後半期、本泉寺蓮悟とともに加賀一向一揆を統括していた。
享禄4(1531)年の錯乱では、白山麓の山内に籠る藤島超勝寺・和田本覚寺と彼らに協力した三河国門徒軍に奇襲され、松岡寺一族はほとんど山内に連行・監禁されてしまう。
このとき蓮綱は82歳であり、同年9月18日に監禁されたまま没してしまう。
たまたま山科本願寺にいて唯一生き残った蓮綱の孫・教宗(蓮綱の息子である蓮慶の次男)は、諸国を流浪したと言われ、波佐谷松岡寺は中絶してしまう。

蓮慶の長男(教宗の兄)・実慶の息子である顕慶が、のちに能登国珠洲郡松波(珠洲郡内浦町松波)の高福寺に入り、その子の慶栄が本願寺から松岡寺の寺号を得て、近世になって松岡寺は再興された。
画像中央の丘陵部一帯は波佐谷城跡と考えられており、その一部が松岡寺跡とされている。

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