山 田 光 教 寺

比 定 地 開  基 開 山 時 期
江沼郡山田(加賀市山田町) 蓮  誓 文明18(1486)年頃
賀州三ヶ寺のひとつで、山田坊主とも呼ばれた。
蓮如が越前吉崎にいた文明6(1474)年頃に、蓮如によって作られた「山田坊」に、蓮如の四男・蓮誓が入寺し、光教寺と号した。
河北郡若松本泉寺、能美郡波佐谷松岡寺とともに賀州三ヶ寺と呼ばれるが、本泉寺・松岡寺の「両御山」に比べて一揆内部での影響力はそれほどでもなかった。
享禄の錯乱では若松本泉寺・波佐谷松岡寺・清沢願得寺とともに、粟津にいた超勝寺と争い、蓮誓の子・顕誓は三ヶ寺派を率いて越前の朝倉教景と共同作戦をとった。
超勝寺・本覚寺が松岡寺・願得寺・本泉寺を焼き討ちした後、光教寺は三ヶ寺派の最後の拠点となり、8月17日の合戦で超・本2寺派を破った。
しかし10月29日に三ヶ寺派に組みした能登・越中勢が河北郡太田で大敗したため、11月には越前勢も自国に撤退し、援軍のなくなった顕誓は越前に亡命した。
顕誓は本願寺証如に破門され、光教寺は廃絶した。
その後、光教寺の門徒は「前山田下」として本願寺の直参となり、直接支配に入った。

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