若 松 本 泉 寺

  

  

比 定 地 開  基 開 山 時 期
河北郡若松(金沢市若松町付近) 如乗(蓮悟) 嘉吉2(1442)年
長享元(1487)年、蓮悟は山間部にあった本泉寺を浅野川北岸の河北郡若松(金沢市若松町付近)の地に移転させた。
長享一揆後、若松本泉寺は小松の山間部にある波佐谷松岡寺とともに「両御山」と称され、加賀一向一揆を主導した。
特に二俣時代からの長期にわたる加賀国内の寺院掌握により、その影響力は大きく、以前から関係の深かった隣国越中の井波瑞泉寺との良好な関係や、能登における門徒掌握もあって、加賀における一大勢力を形成していた。
しかし享禄の錯乱では、超・本2寺派の逆襲に遭い、享禄4年7月晦日、焼き討ちにより焼失してしまう。
住持の蓮悟はからくも脱出し、能登に亡命した。
上段の画像は、南方の小立野丘陵から北の卯辰山山系と若松本泉寺跡を見る。
若松本泉寺跡が、平野部から離れていることがわかる。(大きな画像は別ウィンドウで開きます)
中段の2画像は、本泉寺跡と考えられている土居の跡。後ろの山は奥卯辰山県民公園で、ここは丘陵部の頂上に近い。
下左画像は、本泉寺跡から小立野丘陵を望む。間にある市街部の中央を左右に突っ切るように浅野川が流れている。
下右画像は、浅野川に架かる若松橋から本泉寺跡を望む。この画像での本泉寺跡は、中央の山あたりになる。

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