二 俣 本 泉 寺

      

比 定 地 開  基 開 山 時 期
河北郡二俣(金沢市二俣町) 如  乗 嘉吉2(1442)年
本願寺5世綽如が越中に向かう途中、二俣に立ち寄り、ここに草庵を結んだ跡に如乗が二俣坊として建立した。
蓮如が宝徳元(1449)年から3年間滞在したとも言われ、蓮如の旧跡として有名。
如乗は越中国井波瑞泉寺も兼帯しており、娘・如秀に蓮如の二男・蓮乗を娶わせて、寛正元(1460)年、如乗が没すると、蓮乗は二俣坊と瑞泉寺を兼帯した。
しかし蓮乗が病弱だったため、姑の勝如が諸事を取り仕切っていた。
蓮乗は弟の三男・蓮綱を波佐谷に、勝如も越中国土山(どやま)坊(後の勝興寺)を開いて蓮如四男の蓮誓を土山坊に迎える等、北陸における蓮如子弟の入寺に関わっており、本泉寺は加賀における中枢の役割を果たしていたとされる。
蓮乗の頃、二俣が街道沿いにあって往来激しいとの理由で、隣村の田島(金沢市田島町)、また平尾(不明)に移った。
文明年間の初め、蓮乗は娘の如了と弟の七男・蓮悟とを娶わせて、平尾に来ていた長男・順如のもとで出家させた。
長享元(1487)年、蓮悟は本泉寺を浅野川北岸の河北郡若松(金沢市若松町)の地に移転させた。
本泉寺の若松移転後、二俣の坊舎は時衆に預けられ、その後、もと三門徒派で本願寺派に帰参した玄秀が管理した。
のちに井波瑞泉寺証心の子・心祐が入寺して本泉寺を復興した。
現在の境内には蓮如作と伝えられる「九山八海の庭」(県指定名勝)など、見所が多い。
右画像は、現在の金沢市二俣町で、中央奥の赤い屋根が本泉寺本堂。

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