鳥 越 弘 願 寺

      

比 定 地 開  基 開 山 時 期
河北郡鳥越(河北郡津幡町鳥越) 玄頓 観応元(1350)年
「とりごえ・ぐがんじ」と読む。
現在の国道8号線の北方約1km、また石川県森林公園の東方を南流する津幡川沿いに小さく開けた笠野盆地にある。
本願寺3世覚如の直弟子である玄頓が、この地に建立したとされている。
それ以後、詳しいことはほとんどわかっていないが、加賀における初期本願寺派寺院であることは間違いなく、吉藤専光寺などとともに加賀「四山大坊主」として、初期の加賀一向一揆に関わっていた。
しかし高尾城合戦以後、それほど目立った活動もなく、天正12(1584)年、佐々成政に追われて能登国堀松(羽咋郡志賀町)に移転し、金沢を経て慶長14(1609)年に河北郡加賀爪(河北郡津幡町加賀爪)に移転、現在に至るという。
ここは本願寺派の寺院跡遺跡としては比較的遺構が残っており、現在でも高さ7〜5mの土塁や堀跡などを見ることができる。
寺域は広く、東西約210m南北約330mの広さに及び、小さな寺内町を形成していた可能性もある。
また土塁に囲まれた平坦面には、現在、大国主神社が鎮座し、ここが中心部ではないかと考えられている。
左画像は弘願寺跡を南から望んだもので、中央の森一帯が弘願寺跡。手前の川は津幡川支流の笠野川で、この南方で合流している。
右画像は土塁に囲まれた中心部にある大国主神社。

トップに戻る     寺院紹介に戻る

inserted by FC2 system