『官知論』現代語訳 その九



12 富樫政親の妻が出家し受戒すること 及び注釈

比叡山の別所で、かつて法然房源空が浄土宗を開いた黒谷の末流すなわち浄土宗の本空上人という高僧がおり、京都に着いた奥方はこの上人を訪ね、出家したい旨を申し入れた。
この上人が奥方に申されるには、
「出家されると言うが、その志は、この汚き世を嫌ってのことか、それとも仏教でいう「愛別離苦」つまり愛する者との別れの悲しみを抱いてのためか、まずはお話されるがよい。」
と仰せになり、そこで奥方は、夫政親との別れた様子をこと細かにお話なされたので、上人も目に涙を浮かべたのである。

しばらくして上人は、
「人間としてこの世に生を受けても、女人の身では「梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏」の5種になれないという五障が厚い雲のようにかかっていて、仏の智慧である「法性(ほっしょう)」の澄み切った空を覆い、仏の悟りという「真如」の美しい月を見ることはなかなかに難しいものである。

また若くしては父に、嫁いでは夫に、老いては子に従うという三従の教えも、女性にとっては人生を通じての嵐のようなもので、なかなか仏の真実には行き着けず、煩悩を絶つという人生の花さえも吹き飛ばしてしまっている。
身体はうたかたの泡のようにはかないもの、命は風の前の小さな灯火のようなもので、本当を言えばこれらはすべて魂にとっては仮の住み家にしか過ぎないのだ。

そのように考えると、何かがあったとしても、この世を棄てたいと思うのは仕方のないことである。
政親殿とのお別れを仏道への誘いと思い、仏の道に進んでもまた逆らっても、それはまた1つの悟りへの道と思い、別れの苦しみまた貧しさからくる苦しみもみな仏道修行の機縁と思って、この世に生を受けたものとしては必ず死ぬことを悟るべきである。
この悟りを得ない者は、最後に別れの悲しみがあるのだ。

修行を完成されたお釈迦様でさえ沙羅双樹の下で入滅され、生老病死の「四苦」を乗り越えた最高のお弟子でさえお釈迦様との別れを暁のガンジス川に申されたのだ。
まして人間は短命の世界に生まれ、稲妻や泡のように、はかないものなのだ。
老いた者もこの世を去るし、若き者もまた去って行くが、その多くは「地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界」という六道つまり6つの仮の世界をさ迷い、これは貴人も身分低い者も変わらないのである。

しかし三途の川に沈み、六道世界に生まれ変わっても、再び死んで生まれ変わり、同じ苦しみを繰り返すということから逃れることはできないのだ。
人間に生まれ変わっても、また別のものに生まれ変わっても、その苦しみは変わらないのである。
中でも最も逃れたいと思うのはこの世であり、最も願っているのは浄土に生まれ変わることである。
浄土に赴くことについて、その行き方はまちまちだけれども、末法の世、乱れ切った世においては、念仏をもって最高のものとされている。

愚かで仏法の光を知らずに暗闇の中にいるような者たちでも、唱えることができるのだから、たとえ罪が深いと思っていても、自分を卑下してはならない。
どんな罪、どんな悪行を積んだとしても、改心して懺悔し、念仏すれば必ず極楽に行けることは疑いのないことだ。
功徳が少ないと思っても、望みを棄ててはいけない。
たった1度念仏を唱えても何度唱えても、阿弥陀如来の本願を信じて唱えれば仏が極楽からお迎えに来てくださり、浄土の教えを初めて説かれた善導大師の申されたように「阿弥陀如来の名を唱えれば極楽に届」き、「1度でも念仏を唱えれば全ての罪が消える」といい、無限の過去から積んできた罪でさえも一瞬にして消滅するというのである。

このため、金剛界大曼荼羅経に「悟りを得にくい者が生まれやすいため、過去、現世、未来のあらゆる世界において阿弥陀如来がすぐれている」と説かれているのである。
わが浄土宗の教えは、あらあらこのようなものであるが、極楽浄土に行ける行けないは、信心があるかどうかで決まるのである。
ゆめゆめ疑うことなく、この教えを深く信じれば、起きている坐っているを問わず、生活全てにおいて心に仏を念じ阿弥陀如来の名を唱え続けて命を全うすれば、この苦しみの世から離脱し、すぐさま極楽世界に往生して他の世界に戻ることはなく、これについて男女の差別はないのである。」

このように上人は教えられ、次に出家の功徳について述べられた。
「例えば人が7種の宝で建て、その高さが須弥山の頂上にある?利天(とうりてん)に届くほどに高くても、出家する功徳には及ばないと御仏も説かれている。
また大集経には『1人の子が出家するだけで、一族が7代にわたって成仏する』と説かれ、たった1日の出家であっても何千年何億年もの罪が消えると思われるのだ。
だからこそ出家をされるようお勧めする。」

そして剃刀を持ち、
「過去現在未来の3世界を流転する中では、執着を絶つことはできない。執着を棄てて無為の境地に入れば、真実の報いを受けることができる。」と、髪を剃る偈(げ)を唱え、朝夕奥方が撫でていた身長ほどの黒髪を剃り落とされたのである。
あでやかで美しく、しとやかな眉の跡も消えて、秋の紅葉が色あせてしまったように見知らぬ人の姿となったので、美しかった彼女を妬ましく思う者もいなくなり、そねむほどのこともなくなってしまったのだ。
綾錦の衣によい香りを漂わせていたのが、袈裟を着て抹香の香りに包まれ、女の匂いを消し去ったのである。

次は受戒である。
「浄土教の祖師である善導大師のご遺言に『私は戒律を守り、1つの戒さえ犯したことはない。袈裟をまとい、供養を受ける鉢のみを持ち、毎日阿弥陀経10巻を読み、念仏を6万遍唱え、極楽に往生すると確信している。』とあり、大智度論に
『戒律を持たない者は、足がないのに歩もうとするようなもの、翼がないのに空を飛ぼうとするようなものである。』と書かれている。

特に良くないのは雑行と称して他の修行をすることで、これは仏道修行を壊すものである。
戒律を持つことが、どうして阿弥陀如来の御心に背くというのだろうか。
また斎法経には『たとえ諸国の民衆に宝を施そうとも、たった1日の受戒に及ばない。ましてや少しの間であっても、戒律を守ることの良い報いは数え切れないほどである。』とあり、いろいろな経典に書かれていることは、わざわざ数えるほどでもないのだ。
戒律は一生の間に守らなければならないものが多いが、これを総称して『円頓金剛一心法戒』といい、伝教大師最澄さま以来、わが宗の法然房源空さまに正しく伝えられているのである。

この戒律は生命というものが始まって以来、この世の人間はもとより、生命あるもの全ての心の中にあるものであり、だから、今初めて受けるというものではないのだ。
これは受戒して守って、初めてこのことがわかるのだ。
人の心は本来、如来の悟りを中に持っているのだ。」
上人はこのように戒律の大切さを告げ、教化し終ってから戒律を授けたのである。

「ただし出家もせずに在家のままで、仏の智慧も知らない人々に向って、無理に戒律を守るよう勧めるのは、極楽往生を願う者にとっても難しいことなので、貴女が布教する必要はない。
ただ阿弥陀如来の時間を超越した本願を一心に頼み、如来の不思議な法力によって極楽に往生できると信じられるがよい。」
上人は折にふれ教えを述べられたので、奥方も上人を拝して涙を流し、出家して世を棄てる思いになられたことは、本当にありがたいことであった。

その後、初めに住んだ嵯峨の往生院近くに小さな庵を結び、入り込んでくる隙間風もいとわずに、ただ一筋に亡くなった者達の後生を祈られたのである。
春の朝には山に登って仏に捧げる花を摘み、秋の夕暮れには谷に下って仏前に供える水を汲み、日々昼夜を問わずに念仏されて怠るということもなかったのである。
お釈迦様在世中のマガダ国王妃のイダイケ夫人は、お釈迦様の説法によって再び輪廻の世界に戻ることなく、竜王の娘である善女竜王は、文殊菩薩の教化によって悟りの世界に達したのである。
今の奥方は、夫である政親との別れを機縁として、悟りの境地に達したことは疑うようのないほどに行いを正しくされたのである。
だから諸仏諸菩薩が教化の道をお示しされるとき、罪のある者は凶事を経て仏道に誘い、仏縁のないものは悪事を経させて善の道に導き給うのであり、有り難くも勿体ないことなのである。


注釈:また別本では、奥方について以下のように記されている。

この奥方は、四辻の中納言殿の娘として、7歳の頃からは継母に育てられたのである。
政親殿が上洛されたとき、この姫が美女であるという噂を聞き、仲人を立てて妻にと望まれたのだが、父の中納言殿は田舎に下すのも如何と思われたのであった。
しかし仲人も幾度となく参ったので、最後には父も折れて、14歳の春に北陸路を輿に乗って下られたのである。

加賀の家来たちはみな大いに喜び、われもわれもとお迎えに出向き、総勢2000余騎の侍が近江国の大津まで上って、それから加賀までの道中は心を尽くしてお迎えしたのである。
夫婦仲はことのほか良く、18歳の年に姫君を1人もうけ、高尾城合戦の折は姫も15歳に成長されていたのだ。
この姫もまた美人の噂高く、帝の后になられたのだが、幸薄く、17歳にて亡くなられてしまったのである。
奥方は政親殿との別れを忘れる間もなく、また姫君と別れられることになり、悲しみに沈まれて38歳で亡くなられたのであった。


『本願寺通紀』には、この姫君が高田専修寺真慧の妻となって、2人の間の子である応真が高田派11世となったとしている。

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