『官知論』現代語訳 その壱



官知論 序

私が考えるには、人間の守るべきはまず「仁・義・礼・智・信」の五常であり、これを基本として「礼・楽・射・御・書・数」の六芸がくるのである。

主君に仕えては忠をもって行い、民を治めるに当っては徳をもって行うのだ。
このようにしていれば良賢と呼ばれ、これらに背けば逆臣となる。
ゆえに先人賢者の要点を掴み、後の人間の為の教訓とするのである。


1 富樫殿が近江征伐に従軍すること

近江源氏の末である佐々木大膳大夫六角高頼は、幕府将軍をないがしろにして、自らたのむところがあった。
あまつさえ公儀に反逆する者どもを集めて野心のある者を引っ張り込み、謀叛を企てていた。
前漢の王莽が国を掠め取り、大唐の安禄山が唐都を陥れようとしたものに習ったのである。

これにより長享元(1487)年8月上旬、足利9代将軍義尚は六角高頼討伐の宣旨を奏請し、翌月9月、近江甲賀郡に進発した。
供の軍勢は、斯波義寛、細川政元・元有、畠山尚順、土岐政房、山名俊豊、赤松政則の代人、大内政弘、京極政経・高清、上杉の代人、小笠原、武田国信、富樫介その他、諸国の大名や幕府被官らで、都合10万余騎の大軍である。
中でも富樫次郎政親は体格・容姿も優れ、武芸でも秀でており、精兵を率いる類まれな御大将だった。
古人の言う「千兵は得やすく、一将は求め難し」とは、彼のことを言うのである。
このため将軍の意にかなうことも多く、彼に肩を並べるほどの大名はいなかった。
今回の近江征伐においては、軍奉行として御供衆の武田国信と外様ながらも富樫政親が抜擢され、富樫家の面目これに過ぎるものなしと噂されたのである。


2 富樫政親が加賀一向一揆を退治する計略のこと

人の運が尽き、まさに死なんとするときは、必ず悪事を思い立つものだ。
富樫政親も将軍家の上意を重んじて領民を慈しみ、彼らの憂いを解き放てば「上が和めば下も睦み合う」の言葉どおりであるのに、領国において政親が虐政を行ってしまったために、領民の心は離れて従おうとはしなくなった。
仮にこのことに気づいていれば、自らが絶えてしまう原因を作らなかったのであろうにと、後になって思い知らされるのだ。

政親は折にふれて、将軍義尚に領国の憂いについて話されていた。
「それがしが分国の加賀の土民どもは、専修念仏の一宗を立て、これに励むばかりで年貢さえ納めようとはしないのです。それに加えて、盟約を作って各郡の中に一揆を結んでさえいるのです。公儀をさぼる邪宗と言わずして、何と言いましょう。ですから隣国の越中・越前の両国に将軍家の御教書を下されて、協力せよとの下知を仰せ付けられれば、すぐさま帰国して彼らを退治し、長年の望みを達したく思います。」

政親の巧みな言葉は将軍義尚を乗せ、越中越前の両国へ、加賀への協力を下知するよう仰せになった。
この言を聞いた政親は、将軍に暇乞いをして同年12月24日、北陸の深雪を踏み分けて領国の加賀に戻ったのである。
冬の長旅であり、「雪の中に馬を放ち、朝になって足跡を追いかけ、雲の彼方に雁の声を聞いて、夜空に矢を射てこれを射落とす」詩のとおりの旅であり、中国は斉の管仲が雪中に迷ったときに老馬を放って道を求めた故事どおりの苦難の旅であった。


3 高尾山に城郭を構えること

北加賀における水陸交通の要衝である野々市の守護所に戻った政親は、席を暖める暇もなく、同じ石川郡で守護所の4キロばかり南にある高尾山に城を築いて立て籠り、隣国の加勢をいまや遅しと待ちわびながら、本陣において一揆退治の計略をめぐらし、折々に鬨の声を上げさせて周囲を威圧していた。

高尾城のありさまは、搦め手は白山に続く険阻な峰々を削り、夏でも涼しさを感じるほどであり、これに続く険しく細い道さえ遮断したのである。
城の前には深田が広がって遠く河北潟に続き、攻め手が人馬を広げる場所さえないのだ。
城の左手は深い谷が続いて岸壁も高く、通う道もなく、同じく右手は伏見川が豊かな水量をみなぎらせ、早い流れは往来の船を絶えさせるほどであった。
のみならず城の外には堀をめぐらし陣地を築き、城の角隅には矢倉を建てて、ところどころに楯を並べて板塀とし、あちこちに乱杭や逆茂木を作り置き、また弩(いしゆみ)を何重にも配置していた。
あたかも斉の名将田単が築いた即墨の城にも勝り、越王勾銭の作った会稽の要害をも越えるような様だった。
天のもたらしたものとは言いながら、地の利は大変に優れたもので、まことに素晴らしい城郭であった。

立て籠る軍兵は富樫一門は言うに及ばず、国中の守護方武士は1騎も残さず馳せ参じ、その他、政親が集めた大和・甲賀の強者ども500余人も加わり、与力も含めた総勢は1万余人となったのである。
彼らはそれぞれの矢倉に群れなして籠り、矢倉の下には乗騎を十重二十重にめぐらしていたさまは、鬼神や魑魅魍魎(ちみもうりょう)でなければ容易に落城させられまいとさえ思わせるものがあったのだ。

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