『越登賀三州志』 その4 注釈i

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倉岳

鞍嶽とも書く。林郷のうち知気寺村の領内。金沢より3里8町(約12.8km)。
地勢は険峻で、それはもともと自然の山状であって城の縄張りとして造営した様子は見えない。
一の門、二の門などの地元の言い伝えはあるものの、よくはわからない。
ただ、一時的に地形の険阻であるのを利用して、緊急避難用の場所としたのだろう。

その山頂は絶壁の最頂部にあり、10間×14間(約10.8m×約25.2m)の広さがある。
山頂を南の方角に下りると10間×12間(約10.8m×約21.6m)の場所があり、そこは下から石の段坂を40間(約72m)登った所だ。
この下に高さ27間(約48.6m)の断崖があり、その下に池が広がっている。
深さはわからず、大池と言っており、長さ100間(約180m)余り、幅45間(約81m)で、山影を逆さに映している。


また山頂から東へ下りれば25間×10間(約45m×約18m)の場所があり、それより段坂を15間(約27m)下りたところに縦45間×横20~13間(約81m×約36〜23.4m)の場所がある。
そこからまた一段下りたところに36間×20間(約64.8m×約36m)の場所があり、ここに小池がある。
この池は小さいのだが夏の盛りにも水の枯れることはなく、富樫政親が水巻新介と馬上で組み打ち、馬とともにこの池底へ沈んで死んだという里人の話があるが、とりとめのない話で信じるには足りない。
この場所はもともと険しい地勢で、騎乗の攻防はできない。
また、このあたりに14間×8間(約25.2m×約14.4m)の小さな丘があり、その南の段坂から小池に通じている。

高低差は総じて7、8段の区画に分けられる。
東と南は絶壁で、いわゆる堅城要害の地ではあるが、諸事に不便で常時住むということはできない。
ここへの道は、北からは倉嶽村(現金沢市倉ヶ嶽)から曲がりくねった段道を登ること7町(約700m)ばかりで城地に着く。
西からは月橋(現石川郡鶴来町月橋町)から大池に出て、池を回って登る。

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