『越登賀三州志』 その4 注釈f

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高垣に樋口某

高垣は今の品川主殿の宅地あたり(現金沢市天神町2丁目)だったというが、樋口の名前は古記録には出てこない。


石浦に石浦主水

石浦は、もとは石川郡の庄名で、今の慈光院(現金沢市石浦神社)あたりがすべてこの庄だった。
主水は松田次郎左衛門の甥で、松田が滅んだときに石浦の砦も放火されたという。


椿原に左近将監

古記録にその姓を欠いている。
椿原は、今の田井天神(現金沢市椿原天満宮)の地である。
初め、この天満宮は金沢城石川門外の伊予屋敷の中にあり、その後、成瀬内蔵助の下屋敷の地に移り、それからまた今の場所に遷宮したという。
おそらくその頃は山頂部に社殿があり、後に麓に移転したのだろう。


石名塚に何某

石名塚は、今の上川除(現金沢市菊川2丁目一帯)あたりだ。
古記録には姓名ともに欠けているので、いったい誰のことなのかは知り得ない。

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