『越登賀三州志』 その4 注釈b

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能登国の一部も本願寺の持つところとなった

慈雲寺本に
「富樫家譜に、このとき能登の畠山氏の武力が非常に弱かったため、この賊徒を防ぐことができず、舟で近江国へ逃れたとある。
私が考えるのに、この説は天文23(1554)年、畠山義続が能登を出奔して近江国余呉座に至ったことと混同したものと思われる。
私は何年かかけてこの本の改訂を行い、この説を削除する。」

とある。

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