『越登賀三州志』 その3 注釈b

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祇陀寺(ぎだじ)

石川郡吉野(現石川郡吉野谷村下吉野)に寺町という所がある。
昔の祇弥寺の開山は大智禅師(大乗寺3世明峰素哲門下の祖継大智)だ。富樫昌家の叔父の定照居士…家宗のことだろうか…が、この大智禅師に帰依し、定照居士が隠居するときに、吉野にあった自分の館を改造して祇陀寺と号し、大智禅師を住まわせたといい、これは延元年間(1336〜1338)のことだったという。(以下略)


大野へ落ちていった

一説に、高尾城落城のとき、山川三河守が自害しようとするのを賊党が止めたとある。私が考えるのに、野々市村領(現石川郡野々市町)に山川館という所があり、そのことは前に述べている。
富樫系図を見てみると、富樫家直の弟に山川繁家という者がおり、山川三河守の先祖なのかもしれない。

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