『越登賀三州志』 その1 注釈h

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笠間兵衛家次

石川郡(現松任市)に笠間郷・笠間村(現松任市笠間町)があるが、おそらくこの地の住人だろう。


宇津呂備前

宇津呂を宇津良、また宇津尾とも書く。能美郡波佐谷(現小松市波佐谷町)砦の主である。
伝承によれば、彼の祖先は御幸塚の藤原実定の子を養子とし、これを淡路守定元といい、それから数代が続き、宇津呂備前に至って一向一揆に加担し、一隊の将となったものである。
この備前の子が宇津呂丹波と伝承されている。


山本入道円正

後述に財町円正という者がいる。これと同一人物だろうか。
私が考えるに、『越加記』に記載されている山本若狭守家芸だろう。
その理由は、家芸の一揆組に六ヶ総組中というものがあり、後述するものに六ヶの賊衆とあるのは、この六ヶ総組のことなのだろう。


高橋新左衛門

河北郡木目谷村に「城山」と言い伝えられる場所があり、100年前(慈雲寺本では200年前)に高橋藤九郎という者が居住し、それから七左衛門という者まで5代の子孫がここに住んでいた。
七左衛門の子の代から、ここの百姓になったと言われるので、高橋新左衛門はこの一族であろう。

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