『越登賀三州志』 その1 注釈g

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野々市の大乗寺

考えるに、大乗寺の寺号は弘長3(1263)年、富樫家尚(家善の子)が野々市(現石川郡野々市町)に建立して大乗寺と号し、当時、真言宗の僧である澄海阿闍梨を住持としたのだ。
しかし正応4(1291)年、富樫氏は大乗寺を禅寺と改め、徹通義介(曹洞宗の道元の永平寺3世にあたり、中国にも渡って学んだ高僧。徹通義介の死は延慶2(1309)年9月14日で、文化5(1808)年、その500回忌にあたり、大乗寺で大法要が営まれた。)に願って開山とさせたのだ。ゆえに徹通義介は、寺号の開基ではない。

その後、富樫家善は明峯素哲に帰依して大乗寺に住まわせた。これが大乗寺3世となる。
この寺は金沢の木新保(現金沢市此花町周辺)に移転し、おそらく前田利家公の時代と言い伝えられているが、詳しい年月は不詳である。
その後、また移転して今の金沢大乗寺坂(現金沢市本多町)あたりにあったが、元禄10(1697)年、明州珠心和尚のとき、現在の寺地山(現野田山)に移転した。

また『明智記』に、

「越前永平寺の3世・徹通義介和尚は、出家する前は藤原氏に連なり、利仁将軍の孫・富樫吉信の子孫であり、越前国足羽郡に生まれた。富樫氏とは親族なので、石川郡押野に住んだ富樫家尚が招いて師事したのだ。徹通義介は越前の永平寺から加賀に来て石川郡に椙樹林大乗寺を建てた。」


とあるが、しかし今の大乗寺由来記にも、その頃の詳しい経緯は書かれていない。

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