『越登賀三州志』 その1 注釈f

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若松の道場・江沼郡山田の光教寺

考えるに、蓮如の次男の蓮乗兼鎮というのは越中勝興寺の住持である。
しかし勝興寺を蓮如の4男・蓮誓に譲り、加賀国若松(現金沢市若松町)に一道場を建てて住み、真宗の教義を広めた。

この蓮乗兼鎮の子を蓮能といい、江沼郡の山田村(現加賀市山田町周辺)に光教寺を建てて、自ら開基となった。

若松の道場は後に小立野に移し、これを「御山」と号したという。
一説に、この頃本願寺より子院を下し、本源寺と号して「御山」に置くという。
そうすれば、この本源寺は若松より移転するものなのだろうか、不詳である。


また一説(慈雲本)に、蓮誓が天文16(1547)年の高木場の炎上の後、江沼郡山田村に住み、光教寺と号するという。
この説によれば、この長享2(1488)年の頃には、光教寺はまだないはずである。
しかし今、本文に載せているのは、とりあえずまあ古い本に従ったものである。
出回っている本に「山田坊主」とあるのも、この光教寺のことである。

以上、木越・磯部・鳥越・若松の4ヶ所は、みな河北郡にある。


讃山大坊主

讃山の意味は不詳である。一説に越前に「無讃門徒」と号する大寺がある。今の巡讃・住持の類なのだろうか。

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