『越登賀三州志』 その1 注釈e

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木越の光徳寺

今の木越村(現金沢市木越町周辺)に梅が一株あり、茂っている。伝えるところによると、蓮如が梅木の杖を地面に突き立てたものから枝葉が生じてこのようになったとされるが、よくは知らない。これは枝垂れ梅の一種である。
また、この光徳寺を印刷本が「広徳寺」と書くが、これは間違いである。


この寺は富樫泰家が出家したときに木越に建立し、その後、永正年間に浄土真宗高田派門徒の攻撃を避けて能登国に移る。
今、能登国鹿島郡の七尾(現七尾市)にある。浄土真宗西派(本願寺派)である。
また金沢六枚町光徳寺の祖も、明徳3(1392)年に、木越に建立するという。
しかしここにいうのは、能登七尾の光徳寺の祖が建立したものである。


磯部の勝願寺

世に流布している本に「正安寺」と書いているのは間違いである。
今は越後高田にあり、浄土真宗本願寺派(西派)である。
瑞泉寺がこれである。


鳥越の弘願寺

弘願寺は観応元(1350)年、本願寺覚如の直弟子・玄頓が加賀国へ下り、鳥越に弘願寺を建立した。
今は津幡(現河北郡津幡町)にあり、住持は東派(大谷派)である。
『越加記』(慈雲寺本)に、この頃、木越光徳寺・磯部勝願寺・鳥越弘願寺に吉藤の専光寺を合わせて4郡の伝と称するという。
専光寺は今金沢にあり、住持は東派(大谷派)である。

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