『越登賀三州志』 その1 注釈b
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高尾城
石川郡高尾村(現金沢市高尾町周辺)にあり、今その所を村人たちは「御城山」と呼ぶ。今は遺跡も不詳だ。
軍記物語の『北陸七国志』に「田江」と記され、また「高雄」とも記されているが、ともに間違いである。
富樫家信
系図に家善・家尚・家信とある。
富樫家元
系図に家明・家元とある。
富樫泰行
系図に泰信・量家・泰行とある。
富樫泰高
富樫満春の3男で、富樫持春・教家の弟である。政親の祖父という説があるが、間違いである。
諫言はしりぞけられたのだ
一書(『昆目抄』慈雲寺本)を見てみると、政親の家臣の八尾(屋?)藤左衛門入道妙覚が政親に13条の諫言を記して進上したのだが、政親の受け容れるところではなかったので、髪を剃り、越前の宅経(良)という所に隠れ住んだ。
その後、政親が滅ぼされる時に際し、僧衣の上に甲冑を着けて高尾城に駆けつけ、奮闘して死んだとされる。
倶利伽羅・松根
ともに河北郡であり、別の本には「倶利伽羅・笠師(野?)・松根」の3ヶ所とある。