『越登賀三州志』
「賀越能三州土寇蜂起 富樫氏失社稷」の項 現代語訳


これは『加能史料 戦国 V』(加能史料編纂委員会 編 石川史書刊行会・巌南堂書店 平成15年)所収の、『越登賀三州志』の一部分を現代語訳したものです。
『越登賀三州志』とは、加賀藩最大の史家・富田景周(とだ かげちか)が、藩内の地理歴史を調べたものをいくつかの内容に分けて著した、45巻に及ぶ大著です。
『越登賀三州志』の「越」は越中、「登」は能登、「賀」は加賀国を指し、近世の加賀藩はこれら3カ国の一部またはほとんどを領していることから名づけられました。

ただ、藩政時代の著作ですから、加賀一向一揆を「土寇」や「土賊」などと卑しめて書いたり、史実に沿っていない部分もあるなど、ちょっと現代とは感覚が異なります。
しかしこの『越登賀三州志』は、その綿密な調査と優れた考察により、現代でも一級品の史料であり、加賀の歴史を学ぶ上での基本文献の1つであることは間違いありません。

この「賀越能三州土寇蜂起 富樫氏失社稷」の項は、永延元(987)年〜万治元(1658)年までの治乱興亡を記した『ケンコウ余考』17巻のうちの一部です。
永延元年というのは、一条天皇の時代、滝口の武士だった富樫氏の遠祖・藤原忠頼が加賀の国司に任じられたという伝承の年です。
また万治元年というのは、加賀藩3代藩主前田利常が亡くなった年で、当時の感覚として、この頃から太平の世になったということのようです。
「ケンコウ」という言葉は、もともと弓矢などの武具を包むということから、戦争状態が終息した、つまり太平の世になったという意味です。
ですから『ケンコウ余考』とは、「戦乱の世の歴史を太平の世まで調べて考察したもの」というふうな意味になると思われます。

前に現代語訳した『官地論』と比べて読むと非常に面白いので、これもまた現代語訳をすることにしました。
今回も『官地論』同様、できるかぎり原文に沿った形で訳をすすめています。
したがって考証の誤りなども直さずに、そのまま現代文にしていますので、その点、注意が必要です。

もともと著者による注記の非常に多い史料で、あまりの多さとそれがまた長文のため本文部分が普通に読めないほどなのですが、注記の部分は、短いために本文内に書き加えられるもの以外、全て別ページにリンクさせてあります。
それら注釈リンクのページを消すときは、ブラウザの閉じるボタンを使って下さい。

その1

その2

その3

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